大阪と和歌山の県境にかつて存在していた集落「今畑集落」を久しぶりに尋ねてみた。
今畑集落という名前の廃集落は、滋賀県の有名な廃集落郡にもある。この2つの同じ名前の集落は、遠く離れた別の場所にありながらも山奥で不便すぎて廃集落になったという経緯がよく似ている。
ここまでは山奥の廃集落あるあるかもしれないが、さらに不思議なリンクがある。
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大阪と和歌山の県境にかつて存在していた集落「今畑集落」を久しぶりに尋ねてみた。
今畑集落という名前の廃集落は、滋賀県の有名な廃集落郡にもある。この2つの同じ名前の集落は、遠く離れた別の場所にありながらも山奥で不便すぎて廃集落になったという経緯がよく似ている。
ここまでは山奥の廃集落あるあるかもしれないが、さらに不思議なリンクがある。
大阪にある唯一の村、千早赤阪村。
ここには奈良に抜ける街道があり、かつて利用されていた廃トンネル「千早洞」が今でも残されている。
1917年に作られたという素掘りトンネル。
大阪府内にありながら、秘境感溢れるポイントだ。
以前お伝えした、川の中州にある謎の廃墟。
偶然立ち寄ったところ、河川改修工事で重機が入っており、あれだけ生い茂っていた木々が完全に伐採され、廃墟が丸見え状態になっていた。
いつかたどり着いてやるぜ!と思っていたものの、まさか、こんな結末になろうとは・・・。
かつての日本には「仇討ち」という制度があった。
法治国家となった今の日本からは想像できないが、敵討ちをしても合法とされた時代。
仇討ちは明治時代の初期に廃止されたが、ギリギリ合法の時代に駆け込みで仇討ちを果たしたという現場が、高野山への裏道に今も残されている。日本には最後の仇討ち場とされるスポットがいくつかあり、ここはその内の1つ。
日本最後の仇討ち場というなかなかのネーミングに惹かれて行ってみた。
三重県の旧トンネル・廃トンネルとして有名な「旧長野トンネル(旧長野隧道)」。
三重県津市にある長野トンネルの旧道に位置する。
トンネル内部は残念ながら封鎖されているが、途中までの道路は封鎖されておらず普通に車やバイクで近くまで行くことができる。
何でもかんでも規制規制の今の時代には、なかなか貴重なスポットだ。