大阪と和歌山の県境にかつて存在していた集落「今畑集落」を久しぶりに尋ねてみた。
今畑集落という名前の廃集落は、滋賀県の有名な廃集落郡にもある。この2つの同じ名前の集落は、遠く離れた別の場所にありながらも山奥で不便すぎて廃集落になったという経緯がよく似ている。
ここまでは山奥の廃集落あるあるかもしれないが、さらに不思議なリンクがある。
この2つの今畑集落は、廃村になった時期もほぼ同じなのだ。
滋賀県の方は1979年に廃村になり、和歌山県の方は1982年に廃村になった。
集落の名称が同じで無人になった時期も同時期、何らかの関連を感じさせるが。ただ単に時代の流れなのかもしれない。
今畑集落(和歌山)
江戸時代からある村。
明治22年には、21軒の民家に66人の村人が暮らしていた。
ピーク時の大正時代には14世帯に85人の村人が住んでいたが、昭和になると次第に減っていき、昭和57年に廃村になっている。別の記録によると、1998年頃まで人が住んでいたという話もあるので、廃村になっても住んでいた人がいたようだが、今は完全に無人の集落跡となる。
犬鳴温泉の先にある神通温泉の脇道から細い道を進んでいく。
集落を過ぎるといきなり山道になり、次第にダートへと変わっていく。
ドロドロの水たまりがエグい。
そりゃ無人になるわ。
この真上に廃集落がある。
この場所、最初来た時は気づかずに通り過ぎてしまっていた。
踏切のようなゲートがあって、その真横のスロープ状になっている坂から登っていくと今畑集落がある。
こんなの気づかないよね。
今は廃墟ファンが設置したと思われるピンク色のテープが目印になっているので、迷うことはない。
可愛い看板もあるし。
道の部分はヤブに覆われていないので普通に歩ける。
(2022年現在)道も崩れていない。
今後、台風や地震で崩れる可能性は大いにあるけど。
残された残骸
湿度の高い山の中にある為か、かつての民家は完全に崩落して自然に分解されて瓦礫すら土に還っている状態。1998年に無人化してから20年も経てば、昔の木造家屋なら分解してしまうのか。
それでも自動車は残ったままになっている。
あの道をこの車で移動していたんだ。
当時はそこまで荒れていなかったんだろう。
見よ!この落ち葉の堆積を。
かなりの歳月が流れた事がうかがえる。
スーパーカブもご覧の通り。
エンジンやタイヤは泥棒に持っていかれたのか?
フレームに比べてサスペンションとリアキャリアは健在、かなり頑丈なことがわかる。
炊飯器の残骸。
こいつが、ほかほかご飯を炊いていた頃もあったのだ。
集落があった場所からさらに先に進み、ビニール傘がある方向(右)に進むと広場のような場所に出た。そこには、白髭明神を祀っている祠があった。
民家は全て崩落しているが、ここだけは人工建築物がまだ残っている。
その横には、コンパクトなお寺。
補修されているので、今でもちゃんと管理者がいるようだ。
15年前の今畑集落のレポートをしていた林道野郎Aチームのホームページの残骸キャッシュによると、この多聞寺はかつてはちゃんとした木造の建物だったようだ。15年前の時点で崩壊寸前だったようだが、それが倒壊後、コンクリートブロックで再建されたらしい。
さらにその横には、大量のお地蔵さんがあった。
無縁仏かなと思ったが、同じく林道野郎Aチームによると不食供養碑というものだという。
江戸時代の頃には不食供養という民間信仰があって、毎月特定の日に何も食べずに、3年3か月間にわたり念仏を唱えて修行をすることで極楽浄土へ行けるという結構無茶苦茶なものだったようだ。
不食供養塔なるものは全国各地にあるので、この集落特有の珍しい信仰ではないが、密閉された村社会ということで、嫌々参加させられていた人もいるんだろうな。
じゃあ、このお地蔵さんは江戸時代のものってことか。
かたじけない。
こことは逆の左のルートの先に進むと、侵入を拒むように大量の木が倒れていて、なんとなく不安な気分になってきたので引き返すことにした。
こういう直感は大事にしたい。
江戸時代から続く村ということで、建物も相当古かったようだし、風雨にさらされて倒壊して分解されて土に還り何もない状態になっているのもうなずける。
ほんとに何も無いからね。